「君が代不起立」の先生たちのうれしい勝訴

この時期だからこそ意味がある

卒業式シーズンの前にうれしい判決が出ました。先生たちの勝訴!君が代を立って歌わなかったから、という理由で定年後の再雇用を拒否された都立高校の教職員たちが起こした裁判で、東京地裁は7日、都教委を違法と認めました。

君が代起立・斉唱を職務命令としたこと自体が憲法違反、旧教育基本法違反だとする訴えが認められなかったのは残念ですが、命令に従わなかったことは不採用の理由になるほど重大な問題ではない、という判断にはまったく同感です。

学校の教師と話をすると、必ずといっていいほど忙しい、忙しすぎるという話になり、いつからそうなったのか聞くと決まって、石原知事になって以降だといいます。石原都政のしめつけの典型が、君が代不起立者への制裁といえるでしょう。

いったいこの問題でどれだけの人が制裁を受け、名誉と権利回復のため都教委を相手に裁判が起こされているか。

また気をつけなければいけないと思うのは、不起立、だから処分、という「見えて、分かりやすい」ケースと違って、思想や良心を踏みにじられながらも起立した無数の先生たちの無念さは「見えない」ことです。

立つ人にだって葛藤や逡巡があるのに、それを見せないようにしなければならない。そういう強制を「人権侵害」というのです。不起立で処分を受ける人も起立して何事もない人も人権を侵害。こんなことがいつまで続くのでしょうか。

この時期だからこそ、こういう判決が出されたことは大きな意味があります。立たないことぐらいたいしたことじゃない、という司法判断に元気づけられた人は多いはずです。

写真 総合的な学習の時間「職業を学ぶ」で、議員の仕事についてインタビューに訪れた中学生と