戦争を考える夏 実写版『火垂るの墓』をみる

2008年8月6日 15時31分 | カテゴリー: 映画・オペラ・おたのしみ

ラストに監督の願いがこもる

杉並区役所1Fロビーで原爆写真展が開催され、人の目を釘付けにしています。原爆や戦争のことを思う夏。さいきん公開された、子どもが主役の映画の話を。

『火垂るの墓』といえば、野坂昭如が直木賞をとった小説というより高畑勲監督の名作アニメとして知られ、あれ以上の映像化はないと思っていました。でもこの夏公開された実写版は、アニメとまた違った良質の作品になったと思います。

兄妹を演じた若いふたりの俳優がいい。「清太」を育ちのよい、繊細な思春期の少年として演じた吉武怜朗は、世の中の狂気や欺瞞を写し取ろうとする目が「生きて」いて、りりしい立ち居振る舞いとともに強い印象を残します。

また「節子」役の畠山彩菜はそこにいるだけで愛らしい、アニメでの節子のイメージを壊されたくない観客の思いを裏切らない、でもホタルの瞬きのようにはかない、短い生を確かに「生きた」、という命として存在感があります。

アニメのほうは、兄妹のままごとのようなふたりだけの生活がファンタジー豊かに描かれていたのと比べ、日向寺太郎監督はこの時代の現実として、地域社会の暮らしに潜んでいた、人間の残酷さをさりげなくとらえていたと思う。

それは例えば、校舎の火事で「御真影」を消失させてしまった罪悪感から妻と娘ふたりを道連れに一家心中してしまう校長先生であり、また持病のため兵役を免れたのをいいことに、若い未亡人と同棲していることで町民たちからリンチを受ける厭世的な青年でもあり。

兄妹が、無数の死んだホタル全部に名前をつけて1匹ずつ墓に埋めるシーンは、ギターのシンプルな音楽もそうですが古いフランス映画の『禁じられた遊び』を意識している、と考えるのは私だけではないでしょう。

ラストシーンで、原作やアニメと違って清太を死なせなかったのは、監督の願いなのではと私は受け取りました。