ムーティの『オテロ』 オペラワールド至福のとき

2008年8月19日 19時22分 | カテゴリー: 映画・オペラ・おたのしみ

ザルツブルクにて③

バーナード・ショウが、「『オセロ』はシェイクスピアによってイタリアオペラ風に書かれた戯曲だ」と言っていますが、うまいことを言ったものだと思います。『オセロ』はもちろん大傑作ですが、それをもとにオペラ用の台本を書いてヴェルディに作曲をつよくすすめたボイート、そしてそれに応えたヴェルディの作品のすごさは、言葉では言い表わせません。

—オテロは肌の黒いムーア人で、貧しい出自ながら実力で地位を得た軍人、しかしヤーゴの奸計にはまって妻への猜疑心を募らせて破滅してしまう— ヴェルディの音楽には人物の内面すべてが描き込まれていますが、歌手にも高い演技力が要求されるため、オテロ役が歌える歌手はそう多くはありません。

私にとっては最初にみた『オテロ』の印象が強すぎました。今は亡きカルロス・クライバー指揮で、P.ドミンゴが歌った『オテロ』を20年近く前に観てしまったばかりに、このコンビ以外にあり得ない、と思い込んできました。だから今回、R.ムーティ指揮、ウィーンフィルで聴けたのはラッキーで、主役を若手のラトヴィア人テノールA.アントネンコが演じるのを観て、自分の偏見を改めなければと反省しました。

また、これも若手のロシア人ソプラノ、M.ポプラフスカヤが演じたデズデモーナは、これまでみてきた、憐れみを誘う哀れな妻というだけでなく、自分で選んだ人生を自分で引き受けようとする聡明な女性として造形され、終幕で嫉妬に狂って殺されてしまう悲痛さをより浮かび上がらせていたと思います。

ムーティの指揮でいつも感じるのは、一流の職人の仕事、ということです。譜面から音楽を取り出してオーケストラを使って形に仕上げる、歌い手の歌ごころを育て引き出す職人のようだなあと。またオペラ好きにとっては、そうやって新しい才能が育っているのをまのあたりにするのはうれしい限りです。

写真 ホーエンザルツブルク城から町を臨む