食の表示偽装を飲酒運転にたとえると

モラルが社会の常識にならなければ

10月25日に催された、杉並保健所の「食の安全を考える討論会」。町会連合会の50周年行事と時間が重なってしまい、式典が終って急いで保健所に駆けつけましたがメインだった河岸弘和氏の講演も終ったあとで、後半の消費者・事業者・行政によるパネルディスカッションだけ聞くことができました。

今回のテーマは食品表示。表示偽装の多発が社会問題となっている状況を背景に、消費期限と賞味期限はどう違うのか、これら期限表示に産地も含めた「表示」を消費者はどのように理解し利用すべきか、いろいろな立場の者同士みんなで考えようというものでした。

パネリストとして討論に参加した河岸氏の話が印象に残りました。資料によれば氏は「農場から食卓に届くまでの、さまざまな食の現場で品質管理に携わ」ってこられ、世界最大規模のスーパー、ウォルマートでも働いたことがあるとのこと。

「表示偽装がなくなるにはどうしたらよいか」という会場からの質問に、河岸氏は「法律でしばってもダメ、工場で働いている人全員が偽装はダメだ、と思えるような社会にならないと」と答え、たとえとして飲酒運転を引き合いに出しました。

飲酒運転は昔から違法だったが、ほんの数年前まで「ビールだけなら」と容認する風土があった。福岡で悲惨な死亡事故があってからそれが変化し、「運転者の飲酒は罪」の認識がようやく社会の常識になった。これと同じくらい、世の中の人全員にとって「偽装はいけない」ということが当たり前にならないと、と。

河岸氏は『食品工場の品質管理』執筆者、というのでどんな本だろうと思いインターネット検索をしてみると、そのホームページが充実しています。その中で、食品工場における危機管理という視点から、生産のあらゆる工程でチェックすべき点を指摘していて、改めて気づかされることが多く考えさせられます。

たしかに、衛生管理上のルールはもちろん、従業員の働く環境、内部告発の受け皿、というようなところまで守備範囲としておかないと食の安全は守られない、ということをすでに私たちは経験しているといえます。

またつくり手だけにモラルを求めるのは間違いで、社会の常識を形成する私たち自身のモラルが問われていることにも気づかなければなりません。

写真 消費者代表としてパネラーとして発言した小林菊美さんと 10/25