『イントゥ・ザ・ワイルド』 荒野をめざした青年の生と死

2008年10月30日 12時16分 | カテゴリー: 映画・オペラ・おたのしみ

希望に向かった彼が捨てたもの

「ぼくもういかなきゃなんない」で始まる谷川俊太郎の詩『さようなら』や、「ひとりで行くんだ幸せに背を向けて」で始まる歌のタイトルにもなった、五木寛之の『青年は荒野をめざす』に共通するイメージに、私は昔から弱いところがあります。

自然の深いふところ、あるいは地の果てに向かって進んでいく若者。孤独で、無謀で、物欲はなく、潔癖で、自己中心的で、何者(物)かに導かれるように、ストイックに敬虔な、究極の自分探し——。

イントゥ・ザ・ワイルド』は、そういうイメージをそのまま絵にしたような、といっても実話を元にした映画です。1990年から92年までひとりで放浪の旅を続けた若者が、24歳でアラスカの奥地で飢餓のうちに死んでしまう話。

優秀な成績で大学を卒業した自慢の息子がある日突然、キャッシュカードもIDカードも捨て貯金は全額を寄付、現金も燃やしてしまい、家族の前から姿をくらましてしまう。中古車を乗り捨てヒッチハイクで北へ、荒野へと向かう。

両親に対しては幼いころからの軋轢が積もって複雑な感情があるらしいけれど、人間嫌いではなく、むしろ明るく人懐っこく、現実逃避というより希望と憧れに向かってワイルド(荒野)をめざしていたことが、その目の輝きで描かれます。

その希望と憧れはおそらくショーン・ペン監督自身のものなのだと思います。圧倒的な自由。大自然との共生。生きていることの実感。

しかしその一方で、拒絶された家族は打ちのめされます。裕福な両親は手を尽くして探し回りますが、どうしても見つけることができない。妹は、仲のよかった兄が2年間一度も手紙も電話もくれなかったことに深く傷つきます。

でも妹には、兄がなぜひとりで放浪の旅に出たのか、うすうす感づいているようです。世の中的に価値あることや安定した生活、思い出や感傷をなぜ捨てなければならなかったのか。彼女の感性は兄の生き方を受け入れようとします。

若い日に一度でも放浪を夢見たことがある人なら、きっと主人公に感情移入せずにいられない映画です。