新年を迎えるということ

2009年元旦によせて

昨日から今日に変わるだけなのに、大晦日から元旦への切り替えは特別です。その日が来ない人などいないのに、「新年が迎えられる」とか「迎えられない」「年が越せない」というフレーズをこの暮れにはよく耳にしました。

「貧困」という言葉がこの1年で定着しました。こうして2009年が始まったいま、「新年が迎えられない」と言っていた人たちのことを考えています。

非正規雇用の人たちの大量解雇が深刻な社会問題になっていますが、経済情勢の悪化が、立場の弱い人たちに対して最大の影響をおよぼすという形で現れました。障がい者や高齢者、母子世帯なども影響を受けているはずです。

仕事を切られた人にとっては正月休暇をゆったり過ごすどころではないでしょうし、それどころか世の中が休みのため日雇いなどの仕事がないので、たちまち収入減に直結するのが正月です。新年であるがゆえに暮らせない。

またおそらく正月は格差が強調される時期だと思います。暮れに仙台の刑務所で死刑判決を受けた女性が縊死したのも、新幹線の線路上に女性が飛び込んだのも、「新年が迎えられない」という思いが募ってのことではないか、と勝手に想像します。

パレスチナの人たちはどうでしょうか。空爆のあとがくすぶるガザでは新年も何もあったものではないでしょう。1日1日を生き延びることだけに精一杯に違いありません。しかもイスラエルは地上戦の準備までしているという。

冗談じゃありません。今年こそは、あらゆる国際紛争が終息に向かい、新たに始めた紛争がひとつもなかった、という年にしたいものです。

雇用の問題は、ひとつには仕事の分配という視点で考える必要があると思います。これは社会全体で見直すことが必要です。生活者ネットワークは、今年の都議選でワークシェアリングということについて政策提案を考えています。

そう、今年は選挙の年です。まず衆議院選、そして都議選。生活者ネットは正面から取り組んでいきます。

写真 杉並・生活者ネットの仲間たちと