オリンピックは「ヒロシマ」改め「アテネ」で

非核の理念だけで開催は無理だと思うから

環境博覧会すぎなみ2009で会場係をした杉並工業の高校生たちと10/18
環境博覧会すぎなみ2009で会場係をした杉並工業の高校生たちと10/18
2016年五輪開催地がリオに決まったとき、かの地に祝電を打とうかと思ったくらい、東京の落選は喜ばしいことでした。それなのに2020年をめざして再挑戦するようなことを言う知事にはほんとうに呆れて、一刻も早く夢から覚めて山積する都政の課題に取り組んでほしい、と心底思いました。

コペンハーゲンまでロビー活動しに超多忙の首相まで赴くのかとうんざりしていたら、8月の新聞に載った短歌を書きとめていたのを思い出し東京でやるくらいなら広島でやればいい、と思いこのHPにそう書きました(こちら)。

ところが落選の直後に広島・長崎が2020共同開催をめざすという報道が。このHPの感想をときどき送ってくださるMさんから「小松さんの書いた通りになりましたね」とメールが来て、「実はそれで戸惑っておりまして」と返信するしかありませんでした。

世界中のアスリートが一堂に会する4年に一度の祭典で「非核」のアピール。戦争による被爆を経験した唯二の都市、広島と長崎で。その理念の正しさにはだれも異論をさしはさむことはできないし、反対のしようがない完璧な動機だと思います。

でも、きっと動機はそれだけではないんじゃないか。またその理念だけで五輪開催地になることは難しいんじゃないか。東京と同じように100億、1000億のお金がいることにならないのか。施設整備も必要だろうから環境破壊は避けられないのでは。

それに、もし広島・長崎でやることになったとして、非核・平和のメッセージを発信できるとすれば、開会式と閉会式の演出に表現される以外にないのではないか。だとしたらどんな?

たとえば私は北京五輪の開会式のチャン・イーモウの演出には失望しました。ああいうものは見たくなかったしこれからも見たくない。

本多勝一氏が五輪の開催都市はアテネで固定で、と言っているのはいい考えだと思います。そう、これが最善策ではないでしょうか。