フクシマの反省なしに米国核実験に抗議する恥ずかしさ

2011年7月21日 01時06分 | カテゴリー: 自治と議会とまちづくり

原発は「平和的利用」なんかじゃない

6月28日の区議会最終日からずいぶん日にちがたってしまいましたが、この日に決議された、2本の「国への意見書」について書いておこうと思います。1本は米国の核実験に抗議する内容であり、2本目は福島県の子どもに対し高い値の放射能基準があてられていることについて改善を求めるものです。

2本目の意見書は「ネット・みどり」が議会の各会派に呼びかけて提案しました。子どもを放射能から守ることについてはいずれの会派も賛同してくれ、案文は最終的に他会派の修正案でまとまり、全会一致での賛成による可決とすることができました。

一方、核実験抗議のほうは「ネみ」の提案が必ずしも生かされませんでした。

事務局が示した案文に対し「ネみ」は二つの提案をしました。ひとつは「原水爆禁止運動発祥の地」という部分を「原水爆禁止署名運動発祥」のように「署名」を加えること。これは杉並区民の丸浜江里子さんが最近上梓された著作『原水禁署名運動の誕生』にも教えられて指摘し、そのように修正されました。

しかし「日本では現在、福島第一原子力発電所の事故が放射性物質による環境汚染をひきおこし、制御不能な核をもつことの危うさを私たちは再認識しているところである。」という一文を加筆し、そのうえで「杉並区議会は、『日本が諸国に対して多大な不安と苦痛を与えていることに対して自らを戒めつつ』貴国の核実験に強く抗議し、今後一切の核実験を停止することを、強く求めるものである」とする改正提案については、自・公・民の4会派から賛同を得ることができませんでした。

こちらはできるだけ歩み寄るつもりで第2案、3案まで示しましたが、「平和利用と核実験は別であり原発のことに言及する必要なし」という理由を動かせませんでした。自国がおこした核の問題に対する自戒も自省もなく他国に核の抗議をすることが恥ずかしくない、と思えることが不思議です。

それに「平和的利用」という言葉をいまこの時期に使うことの神経を疑います。「平和的」だなんて。悪魔のエネルギーと呼んでもおかしくないというべきでしょう。