50年代の米国を映画「ツリー・オブ・ライフ」に見る

60年代の日本「コクリコ坂から」と共通するもの

今年の夏は旅行に行くのをやめたので、映画館に避暑に(?)行くことにしました。まず大作『ツリー・オブ・ライフ』。カンヌ映画祭の受賞作品であり懐かしい物語的な宣伝にひかれました。ブラッド・ピットとショーン・ペンの配役も魅力だったし。

でも「少年時代の父親への葛藤をのりこえて成長する男の物語」という予想は完全に外れ。「男の物語」も内包した、圧倒的な映像美と音楽でつづられた叙事詩。ノスタルジックで、しかも宗教的啓示がちりばめられた哲学的思索。

地球の、生物の起源から恐竜時代を経て現代まで疾走する画面は、ブラームス、バッハ、ドヴォルザーク、ベルリオーズ…などの音楽の使い方とも相まって、『2001年宇宙の旅』を連想させます。

そもそも「生命の樹」というタイトルが聖書の中の言葉でした。誕生と死、聖と俗、富と貧、母性と父性、兄と弟、罪と赦し、善と悪、などのキリスト教的な対比が象徴的に現れます。聖書に親しんだことのある人とそうでない人とでは、この作品の見え方が違うのだと思います。

私が印象に残っているのは、母親の着ている服など、1950年代の米国の中産階級家族のくらしの断片いろいろ。そういう見かたは違うのかも知れませんが、閑静な住宅街にDDTを噴霧するジープが走る、それを男の子たちがおもしろがって全身に浴びながら追っかけていた場面も。

少年時代の場面でのエピソードは、テレンス・マリック監督自身の記憶を起こしたのではないかと思えるほどリアルです。それは、スタジオジブリのアニメ『コクリコ坂から』が60年代の日本のくらしをていねいに切り取って見せた、ディテールにこだわった几帳面さと共通するものがあるように感じました。

もちろん、映画的スケールや世界観はまったく別なのですけれど。