「国民生活を守る」のは原発を再稼働させないこと

2012年6月10日 23時01分 | カテゴリー: 核・放射能・エネルギー

原発と共存するくらしはもう嫌です

  6/3げんぱつYES/NOパレードのあと新宿で
  6/3げんぱつYES/NOパレードのあと新宿で
野田首相がついに大飯原発再稼働を表明しました。6月8日夕方、記者会見で「国民生活を守るため再稼働すべきだというのが私の判断」と明言するのを、落胆と絶望と怒りで受け止めました。ほとんどの人がそうだったでしょう。

首相は「原発を停めてしまっては日本の社会は立ち行かない」「計画停電や突発的な停電がおきれば日常生活や経済活動は大きく混乱する」とも言いました。でもそれは違う。原発はいますでに全基とも動いていないけれど何とかやっているし、夏の暑さも乗り越えていく覚悟をしています。

首相、国民はあなたが考えているほどばかじゃない。去年の3.11以前と同じ量の電気などなくても生活を営んでいくつもりでいるし、その自信もあります。計画停電や突発的な停電がおきれば混乱がおきるというなら、混乱がおきないように対策をたてることこそが本来の政治の役割でしょう。

だいたい去年の東京圏の計画停電の経験から学んだことがたくさんあるはずで、事業者が電気を効率的に使うことや使用ピーク時をずらすなど工夫したことを政策的に誘導することもしないで、「国民生活を守る」なんて言わないでほしい。

私たちはもう、安全に処理することが事実上不可能な放射能廃棄物を生み出し続ける原発、人の体を被ばくさせずに稼働させることのできない原発と共存していくのは嫌なのです。原発のない暮らしがほしいと、心から願っています。

政権交代して3年。この間、民主政権にはがっかりさせられることがいくつもありましたが、それでも自民政権よりはよかった。少なくとも私はそう思っていました。でも「国民生活」を盾に原発を動かすというなら自民党と変わりません。

野田首相という人は「私が責任をもって」「政治の責任において」など「責任」の所在を明らかにするのはけっこうですが、放射能の事故においてどんな「責任」がとれるというのか。未来永劫にわたって首相の座にいるわけでなし。

だいじなこと、とりわけ命にかかわることは自分たちで決めさせてほしい——。だから住民投票をなんとしても実現させたいと、またしても思うのです。