「イッセー尾形」 人間観察のまなざしのお茶目さ優しさ

あんなに笑ったの久しぶりです


忙中閑あり、イッセー尾形の一人芝居を大手町の日経ホールで観劇。最前列「かぶりつき」です。

電車の中で同僚の噂話をする自由業風のブーツの男、昼休み中のすねたOL、博多から出てきて大手町で道に迷った社長、顧客の女性たちとポーカーにふける保険の外交のおばさん、部長宅に招き入れられて太鼓持ちするサラリーマン、都会から来た孫に里山のいろいろを教えるおじいさん、観光船上でステージをつとめる100歳のハワイアン歌手—。

今回の演し物はこれら7人。このひとたちの独白劇がそれぞれ12〜3分ずつ。終わりの合図は暗転、ひとつ終わると真っ暗闇になり、すぐ照明がついて舞台上で衣装替えを見せるのがこの人のやり方。

汗をぬぐって衣装を脱ぎ、トランクス1枚になってまた汗を拭き、次の衣装を着けて鏡に向かい、かつらをかぶり、口紅を塗るか眉を描くか、簡単なメイクだけで準備ができるとまた暗転。2秒後にパッと明るくなると、そこには「次」のキャラクターの世界が存在している、ずっと前からそうだったように—という具合。

あんなに笑ったのはほんとうに久しぶり、桂三枝の落語を聴いて以来です。文字通り「お腹の皮がよじれるほど」笑ったので、お腹と顔の筋肉が痛いほど。終演後はしばらく脱力状態でした。

ところがあとで思い返すと、何がそんなにおかしかったのか思い出せないのです。言っていること自体はそれほどおかしいわけでなく、どこがどうおかしかったのかさえ、もう説明ができない。ちょっとしたしぐさ、間合い、顔の表情…?

演じる技術の巧みさはいうまでもなく、人間観察の細かさ、目の行き届き具合、目のつけどころの絶妙さが、すごいと思います。それはもう、昆虫観察のときのファーブルのような集中力で人間を視(み)るのに違いありません。

そのまなざしのお茶目なこと、優しいこと。面白がりよう。基本的に人間が好き、ということがどの作品にも満ちあふれているのが、イッセー尾形の世界の魅力なのでしょう。