『悪童日記』 戦争の時代を生き抜く子どもの無垢と非情

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだときの衝撃は強烈でした。ハンガリー女性が亡命先の言語すなわちフランス語で書いた小説は、原題「大きな帳面」が示すとおり、双子の兄弟が書き記す日記がそのすべてです。「ぼくら」を主語とし簡潔で客観的、冷たくとんがった文体で描かれる非情な世界に、強く引き込まれてしまいました。20年くらい前のことです。

 子どもが主人公で、無垢な少年の成長物語ですが児童文学とはいえないでしょう。あまりにも暴力が満ちて非道徳的、グロテスクだし。戦闘場面はなく国も時代も設定されないながら、戦争のもつ邪悪さや残忍、腐敗臭までがむき出しになった、すごい戦争文学といえると思います。

 その『悪童日記』が映画化されたと知って驚きました。映像になるなど考えもしなかったから。これは観に行かなければ絶対に後悔すると思いました。そして実際、期待を裏切らない映画でした。 

主役の双子は、この作品のために生まれてきたような少年たち。彼らを見出した監督の幸運は、神に祝福されたと言うべきでしょう。本の中から出てきたような双子です。彼らが都会から戦火を逃れて疎開する田舎の、貧しく荒涼とし凍りついたような風景も原作のイメージそのものです。

 時間も空間も特定されず不明となっている原作と違って、生身の俳優による映像化にあたって、明確に第2次世界大戦時のハンガリーを舞台に設定するのは必要なことだったと思います。 

『悪童日記』の本質は、戦争が子どもの生活を破壊すること、子どもの時代を奪うことの告発だと私は思っていますが、実写映像化によってそれが際立ちました。なぜなら、兄弟が殴り合う痛さや、食事が与えられない空腹感などが画面から伝わってきたからです。 

さらにまた、戦争が子どもを加害者に仕立て上げもすることを、映画は示唆しています。いまの時代、子どもが自爆テロの実行犯になっている現実や、日本が軍事的行動に一歩踏み入れようとしている現実も思わずにいられません。