アウシュヴィッツを訪れて 〜その2

2016年8月24日 06時27分 | カテゴリー: 子どもと人権, 憲法・平和・社会, 映画・オペラ・おたのしみ

貨車1台に60~80人が詰め込まれこの地まで移送されました。アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(第2収容所)にて 8/18

貨車1台に60~80人が詰め込まれこの地まで移送されました。アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(第2収容所)にて 8/18

施設群を実際に見てわかったのは、史上最悪の殺戮が決して「人の狂気」によるのではなく、むしろ知識の粋を集め経験の蓄積を生かして技術を開発し、効率的に目的遂行するためのあらゆる人智が結集されてできた高度の「システム」だったということでした。

彼らは連行した囚人の私物をすべて取り上げ、ガス室で殺した遺体から金歯を抜き取り、戦争遂行に利用できるものは活用しました。女性の頭から刈り取った毛髪は生地を織る素材にし、医学研究のため囚人を人体実験の検体とするなど、「正気だからこそ」できた、そのことに戦慄します。しかもそれが、国民が民主的に選んだ政権による、圧倒的支持を受けた国策だったこと。これを深く理解しなければならない、と強く思います。

アウシュヴィッツに来てもうひとつ考えさせられたのは、戦争犯罪という負の側面を歴史の教訓として次世代にどのようにつなげていくのか、ということです。

強制収容所の公開もそうですが、ポーランドの首都ワルシャワでは、被害者の側として、ナチスに占領されていた時代の出来事を忘れず若い世代にも実感できるようなしかけが工夫されていました。一方「加害者の側」のドイツは、ナチスの蛮行を国を挙げて憎悪し、人道的政策を執ることを選択し今に至っています。ホロコーストの死者数を過少視する歴史修正主義者が少なくないとは言え、首相がヒトラーを評価する発言など決してしません。

しかし日本はどうだろう。戦争の惨禍も犯罪も語り継がなければならないのに、第2次大戦の戦争犯罪者を祀った神社を政府の要人が集団で参拝することが恒例となっています。これを海外の国々はどう見ているのでしょうか。歴史を学ばない「変わった国」または「愚かな国」だと見られているのに違いないと思います。