安い食べものには理由がある

稲刈りで自給自足に1ミリ前進

食用でない事故米が食用として転売されていた、という事件の重大さは、賞味期限や産地表示の偽装より悪質です。転売先から複雑なルートをたどって、加工されたものが高齢者施設や保育園の給食にまで使われていたというのだから、その罪は大きいといわなければなりません。

工業用としてしか使いみちのないコメを安く買い、食用と偽ってそれより高く売ってもうけてきた、そのことは絶対許せないし同情の余地はない。でも、いくらもうけるためとはいっても通常より高く売ったとは考えられない。

つまり普通のコメよりずっと安く売ったはずだと思うのです。だったら、買い手は安いからとすぐとびついたのでしょうか。こんなに安いのは変だ、おかしい、と思わなかったんだろうか・・・。というのが私の疑問です。

だまされるほうが悪い、ということではありません。「モノが安いときには必ず理由がある」ということ。食べものを提供する人は、そのことを正しく認識しておかなくてはいけないのではないか。「正しく」というのは論理として、という意味です。あえて難しい言い方をするのは、モノの値段の理屈が大事だと思うから。

だからやっぱり、食べものは目に見えるところで作るのがいいなあ、といつもの結論に落ち着くわけです。地産地消、究極は自給自足。

15日は「忙中閑あり」では全然ないけれど、トラスト会員になっている鴨川の棚田へ稲刈りに行き、「自給自足にまた1ミリ前進」を実感したところです。