「魚屋殺すにゃ3日はいらぬ」その抗議で始まった原水禁運動

2009年8月28日 09時40分 | カテゴリー: 憲法・平和・社会

区役所の写真展「核兵器のない平和な未来を」

杉並区立公民館館長室が署名運動の全国センターとなった 1955年(「すぎなみ学倶楽部」より)
杉並区立公民館館長室が署名運動の全国センターとなった 1955年(「すぎなみ学倶楽部」より)
区役所2Fの回廊でオバマ米国大統領の写真に気がつき足を止めると、その隣に今年4月のプラハ宣言のパネルが。「核兵器のない平和な未来を」という、区の「文化・交流・男女共同参画課」主催の写真パネル展でした。

杉並区議会はオバマ大統領の宣言に賛同して6月本会議の最終日に「核兵器廃絶の取り組み強化を求める決議(こちら)」を採択しましたが、杉並区が日本の原水禁運動発祥の地であることは比較的知られた事実です。この歴史に関する展示が目を引きました。

発端は1954年3月1日、太平洋のマーシャル群島にあるビキニ環礁で米国が行った水爆実験。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくし、乗組員が重篤な被害を受けたのみならず、「放射能汚染の疑いがある」として全国の魚屋が受けた打撃もまた深刻でした。

「魚屋殺すにゃ三日はいらぬ ビキニの灰降りゃお陀仏だ」—当時の新聞の見出しです。3月にまず浅草魚商連で原爆禁止と今後の水爆実験中止を求める決議がなされ、4月に杉並区でひとりの女性が声をあげます。

婦人参政権行使記念講演会が行われた公民館で、菅原トミ子という魚屋さんの切羽詰まった、そして勇気ある発言がきっかけで、同月には杉並区議会で水爆禁止を全会一致で議決、5月に草の根の署名活動が始まった—。

この展示は25日までで終わってしまったので、どこかに資料がないかと探したら「すぎなみ学倶楽部」のウェブサイトにありました(こちら)。

こういう先達の歩みを知るとなおさら、日米安保条約の下にあって核持ち込みをめぐる密約が日米間にあったらしいという疑惑について、政権交代をぜひ実現させて新政権下で明らかにしてほしいものだと思います。