杉田敦さんの講演で考えた「一致しない」ことの重要さ

二院制と二元代表制、「ねじれ」の意味

東京・生活者ネット「新春の集い」で杉田敦さんと
東京・生活者ネット「新春の集い」で杉田敦さんと
1月26日、東京・生活者ネットワーク恒例の新春の集い。政治学者、杉田敦さんの「自治体と民主主義——議員に求められるもの」と題した基調講演を聴いて、首長と議会の関係を考えるヒントが得られたように思います。

首長と議会はいずれも選挙で直接選ばれる住民代表の機関であり、両者は「車の両輪のように」政治を推進する主体、とする「二元代表制」は地方自治法に定められた制度です。

どこの自治体もこの制度に基づいて議会が設置されているはずですが、実態はというと…首長の圧倒的強さに対する議会の存在感の弱さは、「議会なんかいらない」という不要論や議員定数削減論を生じさせています。

それはおそらく、いまの議会の現実が「首長の提案を追認する」だけの存在になっているからです。「決定の場」であることだけが議会の機能ならそれもやむを得ないかもしれない。「でも」と杉田さんは言います。「決定の場であると同時に熟議の場としての議会」であるべき、と。

国会における衆議院と参議院の「ねじれ」は悪いことだろうか。かつて参議院が衆議院のカーボンコピーと呼ばれたころのように同じ判断を下すような状況が正しいのか——という杉田さんの問いは、私も同感です。

野党が与党の足を引っ張るだけならその見識が問われる。「調整」はありうる。そのための前提として「熟議」を、というとらえは地方自治体における首長と議会の関係、また地方議会そのものにもあてはまります。

首長の代表する「直接性」と議会の代表する「代表制」は補完し合うもの。「一致しない」ことが重要。

熟議をリードする少数政党として「きちんとした問題提起」をする生活者ネットワークに期待する、とまで杉田さんが言ってくださったのは、まあ、リップサービスが多分にあったとしても、私たちにとってはありがたいエールであり、また重い宿題をいただいたとも感じています。