杉並区とソチョ区、「教科書問題」克服して交流20周年 

「『つくる会』の歴史教科書を退けた」と記念行事で見解

陳ソチョ区長と田中区長、友好宣言に調印
陳ソチョ区長と田中区長、友好宣言に調印
杉並区が韓国のソチョ(瑞草)区と1991年に友好都市提携を結んでから、今年で20周年を迎えました。ソチョ区で催される記念行事に訪問団が派遣されることになり、私も区議会のメンバー(議員9名)の一員として10月17日から19日まで、3日間ソウルに行ってきました。

ソチョ区はソウル特別市25区の中で副都心として位置づけられているというだけあって、区内には最高裁判所があり、また国立オペラハウスやコンサートホールに書芸館、美術館などの集合施設「芸術の殿堂」が造られています。サムスン(三星)やヒュンダイ(現代)といった巨大企業もあるというのだから、税収入もさぞ多い、裕福な自治体なのだと思います。

ソチョ区側が設定した3日間の記念行事は、こちらの感覚からすれば分不相応なほどのもてなしようで、正直言って戸惑うことも。たとえば、式典に参加のため庁舎に到着したバスから私たち一同が降りたとき、出迎えの人びとが数十メートルも並んで日韓の小旗を振って待っていてくれたのには、足がすくみました。また晩さん会での熱い歓迎ぶりにも、「文化」をつよく認識させられました。

式典は18日、庁内の講堂で行われました。カウンターテナー歌手がイタリア歌曲やミュージカルナンバーを歌い、女性グループが伽耶琴(カヤグム)の演奏を聴かせて始まった式典で、実はびっくりするようなことがありました。

それは、両区の友好交流20年の足跡が報告されていたときでした。

「…2005年歴史教科書採択問題と、2007年竹島問題によりしばらく両区の関係が疎遠になったこともありました」と述べられたのに続いて「…2011年、区長や市民、区議会議員、関係者のみなさまの努力で『つくる会』の歴史教科書を退けることができました」という趣旨のことが明言されたのです。

録音していたわけではないので正確ではありませんが「退けることができた」という、その一言が強烈に残りました。05年も09年も「通常の手続きに従って採択を行っただけ」とする杉並区の「報告」には決して載ることのない文言です。

ソチョ区の公式見解がこれでわかりました。杉並区も区議会もそれを認めないわけにはいかないでしょうから、この一言のもつ意味は重いです。

ところで3年前、ソチョ区政20周年のときにも杉並区は招待を受け、区議会から訪問団が派遣されたことがありました。当時の幹事長会ではそのメンバーを選ぶにあたって「参加する議員は国旗・国歌への礼儀を失することがないことを条件とする」という申し合わせがされました。承認のための議案がはかられたとき、議会では応酬があり、わが会派の市橋さんも質疑ののち「国旗・国歌を今後の条件としないように」という条件つきで賛成意見を述べています。

ところがそのときの式典では国旗も国歌もなかったそうです。そして今回もしかり。庁舎前で受けた歓迎と、両区長の友好宣言調印式の机上にあった以外は日の丸を見なかったし、君が代も韓国の国歌も聴くことはありませんでした。