「被ばく労働者がいなければ継続不能」原発とはなにか

悪魔の装置というしかない

  それでも花は咲く 上荻2丁目で4/7
それでも花は咲く 上荻2丁目で4/7
震災後、生活者ネットは地域のみなさんが何に困っているか、不安なことは何か、今後必要と思うことは何か、などを聞き取る調査活動を実施しています。いま圧倒的に多いのは「原発」に関する不安です。

福島第一原発の事故後の状況は発生後4週間になろうとするいまも、作業員の必死の努力にもかかわらず安定に向かうようには見えません。それどころか陸から海へまでも放射性物質による汚染を拡散させています。

先日ある人から聞いた話が頭から離れません。その人は数年前まで原子力委員会にかかわっていたといい、原発のもっとも危険な現場で働く労働者のことを話してくれました。「原発ジプシー」という言葉が出ました。

その言葉はずいぶん昔に『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでなのよ党宣言』という長いタイトルの映画のシナリオを読んだときに初めて知り、次に樋口健二という人の写真集で知りましたが、怖ろしくて忘れていました。ヘンな話ですがあまりにも怖ろしいので考えたくなかったのだと思います。

でも今回、事態の収束にあたるために多数の作業員が集められ、寝る場もろくにないような劣悪な環境でしかも被ばく放射線量をチェックする計器を持たされずに作業現場に送られていること、などが少しずつメディアで報道されるようになり、そんなことを言っていられなくなりました。

まるで戦場に送られる兵士のようではありませんか。労働基準法はどこへいったのか、憲法にすら抵触することではないですか。

そして大事なことは、今回のような事故がなくても、その非人道的な任務を課せられる存在なしに継続できないのが原発という装置だということです。定期点検などのときには作業員が投入されるのだそうです。

原発は悪魔の装置というしかない。原発のない社会を本気でつくっていかねば、と思います。