「タイガーマスクこと伊達直人」による児童福祉施設へのプレゼントが日本中に波及したことは、2011年初頭の明るいニュースです。暮れにランドセルを贈った最初の「伊達直人」氏はさぞ驚いているにちがいありません。
もし「伊達直人」でなく本名で贈っていたら、それはふつうの寄付ということだからニュースになることもなく限られた人にしか知られず、真似する人も現れなかった、社会現象になることもなかった——。
本名を隠して架空の、しかもストーリー性のある名前を使った「遊び心」が人の心を捉えたのでしょう。そしてもちろん、名誉のためでなく人のためによいことをしたい、と考える人が少なくないということでしょう。
よかった。日本人がまだ捨てたものじゃなくて。素顔をさらしてはしないが「こっそり・匿名」ならするというなら、それでいいじゃないか——という気がする反面、それだけでは福祉現場の困窮が根本的に解決することにはならないのでは、と思い至ります。
児童養護施設の存在や、その抱える問題が広く世の中に知られるきっかけになったことはとても有意義だと思いますし、たとえ一時でもみんなの心が温まったのは悪いことではありません。「うさんくさい」と評する人もいますが私はそうは思いません。
でも施設にはいつも新しい子どもが入ってくるし、子どもの成長に合わせて必要なものは増えるのに、贈り物がもう2度と来ないかもしれないと考えるのはつらいものです。
政治の貧困はもちろん改善しなければならないことを前提でいうのですが、阪神・淡路大震災の1995年がNPO推進元年となったように「2011年は寄付の文化が根付いた元年」といわれるようにできないものか。
対象を子ども施設に特化した「伊達直人ファンド」、どうでしょう。またこの機会に、既存の寄付システムも実績をアピールし自己主張して基金を募ることに力を入れてみてはどうでしょうか。