『いのちの食べかた』が描く 食とは何か

管理された工場で食品となる「いのち」

見逃していた映画『いのちの食べかた』を、杉並区消費者グループ連絡会が主催した上映会で5日、みることが出来ました。「食とは何か」をこんなにむき出しのまま、直截的に描き出したドキュメンタリー映画はほかにないと思います。

農業や畜産業、食の生産現場を描いているけれど、自然の恵みに感謝をささげたくなるようなつくりにはなっていません。昔ながらの農作業ではないからです。

殺される前のブタの悲鳴は強いインパクトを残しますが、全編にわたって字幕、ナレーションなど説明の類いっさいなく、BGMもなし。効果音もなし。

他方、監督の美的こだわりの半端でないこと。食の生産現場を撮影するなら、ほかの切り取りかたもあったろうに、管理された無機質空間を強調するかのように、整然と左右対称の画面が多いことに気がつきます。

生産現場で労働者が移動する乗り物、または無人で動く薬剤散布車とベルトコンベアーは機能性の象徴でしょうか。岩塩を採掘しに地中深く降りてゆくエレベーター。塩の現場は荘厳な神殿のよう。まるで工業製品のようにベルトコンベアーで運ばれるヒヨコの列。頭を落とされたサケもベルトコンベアーに乗せられ、巨体のブタやウシは上から吊るされて流れ作業にのる。

ウシの種付けと帝王切開での出産、屠殺された直後おびただしい量の血が流れ落ちるシーンは圧巻です。しかしこういう「いのち」を食べている人間の罪深さを告発するでも糾弾するでもなく、たんたんと見せて語るのみ。

映画はまた、生産現場が多国籍の人たちの労働の場でもあることをさりげなく伝えます。オーストリアとドイツの合作というから、そのいずれかの現場でしょうが、アジア系、アラブ系の出稼ぎの人をかなり受け入れているようです。

原題は『OUR DAILY BREAD』という聖書の中の言葉で、BREADは「パン」というより「糧」。だから「われらの日々の糧」という意味です。ところでこの映画で「食べる」場面は、労働者の昼食しかありません。ひとりでぼそぼそ食べるシーンがそうであるように、およそおいしそうな場面はなく、あえて食の豊かさに触れまいとした監督の意図が、この「日々の糧」という言葉の裏にはあるのかもしれません。