「外環の2」 50年前の整備計画が妥当なのか検証すべき
外環が完成するのに20年や30年はかかる…と4~5年前には言われていましたが、いつの間にか都は「2020年までにできるようがんばる」と都が公言するようになりました。東京オリンピック開催決定という大義名分ができたということです。
地下トンネル構造で全長約16kmの国道本線と、その真上の地上部約9kmを通る都道「外環の2」という、2本の外環整備が加速しています。幅員40mの道路「外環の2」の真上に高架高速道路として外環本線が計画され、2本は一体的に整備するものとして1966年に都市計画決定されました。
しかし、武蔵野の良好な住宅地を貫通する計画は沿線住民から強い反対を受け、事業は40年以上も凍結。石原都政下の07年、地上部に影響を与えない大深度地下での建設に変更して再度都市計画決定し直し、現在20年五輪までに完成をと目標化され事業が進んでいる状況です。
一方、多くの人が「計画そのものがなくなった」と思い込んだ「外環の2」は、66年の都市計画が据え置かれました。
都は、目白通りから東八道路に至る沿線の各自治体で「外環の2については、必要性やあり方などについて広く意見を聴きながら検討を進める」とし、練馬、武蔵野、杉並で住民参加による「話し合いの会」が設置されましたが、「必要ない、計画を廃止すべき」という意見も多く、合意には至っていません。
そのような中、都は12年9月、地元への事前通知もせず練馬区大泉地区の1km区間で事業に着工したことに続き、昨年12月、さらにその南側約3km部分の複数案を発表しました。幅員18m、22m、40mのデザイン3種類。この中から区民の意見を聞いて選ぶとしています。「廃止」の選択肢はありません。
この、突然でしかも「建設ありき」で示された提案に対し、住民から抗議の声が上がったのは当然といえます。1月10日、外環の2建設に異議を唱える市民グループ約30人が都庁に集まり、都市整備局の担当者に対して3案の撤回を求める要請を行いました。
「話し合いの会は三鷹では未実施であり世田谷では予定もなく、結論が出ていないのに練馬だけ強行するのは住民無視」「都知事が不在なのになぜ進めるのか」などの意見が噴出。コンクリート行政を進める前に、50年近い昔の計画の妥当性を検証すべきです。