新潟中越地震 小千谷市民の6割が被災者に

協定した杉並けっこうやるじゃない でも

新潟中越地方に最初の激震が走った10月23日。小千谷市と「災害時相互援助に関する協定」を5月に結んだばかりの杉並区が、直後に「小千谷市救援対策本部」を設置し、翌朝には救援物資を載せたトラックの第1陣を送り出した、と聞いたときには「なかなかやるな」とわが区の行政を誇らしく思いました。

その後も、第2・3陣の救援物資発送、区役所を始めとする区施設に義援金箱を設置、また第4陣としてボランティアの調整や支援を行なうための人材を送るなど、杉並はよくやっていると思います。

でもそれから1週間以上たった今なお、余震がつづく当地で2万7千人が避難生活を余儀なくされています。小千谷市の人口は4万1千人なので、なんと全市民の6割以上にあたります。これは大変な数字です。もし杉並区民の6割が避難するとしたら、32万人を超えてしまいます。

TVや新聞では、被災地でのニーズが日々変わることや、必要な物資が必要な人のもとになかなか届かないことが報道されています。トイレの不足と不備は深刻な問題であると同時に、さぞ気持ちのめげることと想像されます。2歳の坊やの救出は感動的でしたが、2時間だけ帰宅した山古志村の人が、壊滅した自宅で声を上げて泣く姿には胸が締めつけられました。

甚大な災害にあっては、被災者のリアルな声にどれだけ耳を傾け気持ちを共有できるかが、周囲の者に問われます。行政の救援対策がまず着実に施され、事業者は提供できるものを出し合い、そのすき間を埋めるようにボランティアの活動がきめ細かく行なわれれば、被災のダメージから立ち直って生活に前向きになれるのでは、と思います。日本がそんな国でありたいと思います。

地震の報道に明け暮れていた週末に飛び込んできた、イラク人質殺害の衝撃的なニュース。卑劣と残忍さに言葉を失います。イラク問題に関して日本がしてきたことは正しかったのか? どうしても問わずにいられません。