オペラ『カヴァレリア』にジェンダーを見る

いつもと違うオペラの楽しみ方

古い資料を整理していたら、ある集会の情報で「オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』のジェンダーに関する考察」というタイトルが目に入りました。

『カヴァレリア』といえば1890年代イタリアのヴェリズモ・オペラの名作。シチリアで実際に起きた事件をもとにした、男女の愛憎から殺人にいたる生々しいドラマです。先月新国立劇場でこのオペラを久しぶりに観たところです。

舞台設定を1950年代に置き換えたものでしたが、これが正解。ドラマティックな音楽も物語の運びにもまったく違和感がなく、きっと、シチリアの地方色豊かな宗教行事や貧しい村の暮らしぶり、人々を拘束するしきたりなどが19世紀末から60年後も変わっていなかったからなのだろうと思いました。

先の集会チラシでは「母親中心主義の風土における『男性性』と、村の社会規範と宗教倫理に規制される『女性性』について」、このオペラのジェンダーに関する考察を試みる、とあります。なるほど。ジェンダーの視点とはね。

そういう見方もあるんだ、と思いました。『カヴァレリア』は人間の弱さや葛藤、その背景にあるものを凝視した社会派劇のような、リアリズムが魅力のオペラです。と同時に、ジェンダーに絡めとられる男女の悲劇でもあったんですね。

ところで映画『ゴッドファーザーⅢ』は一部『カヴァレリア』の物語をモチーフにし、かつ本筋と密接にかかわる劇中劇にも使い、またその音楽も効果的にちりばめられています。ハリウッド映画ではこういうケースがよく見られます。

たとえば『月の輝く夜に』とプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』、『アンタッチャブル』とレオンカヴァッロの『道化師』、『プリティ・ウーマン』とヴェルディの『椿姫』、『リプリー』とチャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』・・・などです。

ときに、「ジェンダーフリー」という言葉がいま、故意に葬り去られようとしています。見過ごせない動きです。このことは次回に。