歴史を「なかった」ことにしたい人たち

慰安婦も集団自決「強制」も「南京大虐殺」も

話は6月にさかのぼります。米国議会で「従軍慰安婦」に対し日本政府の公式謝罪を促す決議案が採択され、日本の一部の国会議員や地方議員がこれに反対して撤回を求める抗議を起こしました。そのなかに山田宏氏の名前があり・・・。9月の区議会で、ある議員がこのことについて区長に見解を問いました。

それに対する山田区長の答弁は「従軍慰安婦は時代の公娼制度という枠組みの中で・・・職業としてあった」。さらにそのことを「政治家の信条として(申し上げる)」と繰り返したことには、心底驚きました。山田氏がそういう説を唱える人だということは承知していましたが、あんなに堂々と本会議で発言するとは・・・。

そのことがあって、区議会では沖縄戦集団自決「強制」の記述削除に関する議決が成功したことはせめてもの成果だったわけですが。

10月某日、自宅に届いた怪文書。「沖縄県民集会の航空写真から参加者の数をカウントしたら1万数千人しかいなかった。11万人というのは大うそだ!」というもの。写真のコピーが同封され、もっと詳しい資料を送るから連絡を、とも。

市民の結集力(=抗議の大きさ)を過小評価して、抗議の価値そのものをも貶めたい人たちがここでも動いているようです。ばかばかしいけれどそれが教育や教科書問題につながっているのだから、看過できません。

「南京大虐殺」から今年で70年ですが、この「大虐殺」という呼称が最近の教科書からは消えてきていて、こういう人たちの「運動の成果」ともいえるらしいことが、先日の新聞記事に出ていました。いまは「南京事件」だそうです。

やったことを「やった」と言わず、なかったことにすれば保持できる「国の誇り」とは何でしょうか?

写真 省エネ住宅設計事例・アイデア展で 12/1