「人はドイツで起きたホロコーストについては関心を持つがパレスチナで起きたことには耳を傾けようとしない」。細かい部分は正確ではありませんが登場人物が語った言葉です。ナチスのホロコースト対象者だったユダヤ人が第2次大戦後の1948年パレスチナ人に対してしたことを世界は報じない、と彼は抗議します。
でも少なくとも広河さんには、これに反論する権利があります。
『DAYS JAPAN』は地球上のあらゆる紛争、人権侵害、環境汚染、権力による抑圧・・・などを現場から命がけで切り取ってきて読者の頭を殴りつけるような写真を掲載している類まれな月刊誌ですが、広河編集長のパレスチナに対するこだわりは特別なものがあります。それがなぜか、この映画を見ると分かります。
67年にイスラエルのキブツで働いていたという20代の広河さんの写真がちらっと映画に出てきますが、キブツの共同体理論に共感していた若者はやがて、そこが先住のパレスチナ人を組織的に追い出し虐殺までして築いたところだったことを知り、以来中東へのかかわりを深めていきます。
48年のイスラエル「建国」が生んだパレスチナ難民。82年にはレバノンの難民キャンプでの大量虐殺を目撃するに至り、その原点となった48年の「ナクバ」を解明せずにいられなくなったのは、それが自身の原点でもあったからなのでしょう。
だからこの作品はどうしてもつくらなければならなかった映画であり、ジャーナリストの良心が自分を突き詰めた結晶といえます。
また、現地を繰り返し訪れて親交をはぐくんだ写真家の目がとらえた人間の生気や感情は、惨状を映す画面にさえある種の格調を与えているので、つい現在進行中の中東情勢の厳しさを忘れてしまいそうになるほどです。