ごみ収集日に自転車を走らせていると、集積所で立ち話に花が咲いている場面を見かけるようになりました。出されたごみをめぐって論評(?)し合ったり人に確認を求めたり、苦情を言い合ったり情報交換などの、ああだこうだ・・・。
私の所属する生協のグループでも今年度の活動テーマが「ごみ」ということで、25日に学習会がありました。講師は区の清掃事務所職員です。
講師が最初に言ったのは「収集方法が変わってみなさんに多くの負担を強いることになってしまった」、申し訳ない——。でもプラスチック資源化のための分別は私たち区民が望んだことです。私は謝らなくていいんです、と言いました。
容器包装プラの分別は、私の住んでいる今川地区では7年ほど前から区の実験地域に指定されて経験を重ねていますが、区内3分の2のエリアでは4月から分別するようになったばかりなので、まだ悩みながら試行錯誤中のようです。
たとえば化粧品のコンパクトケース。プラマークがついているけれど鏡が張ってある。鏡はプラではないからどうするか。このままで資源ごみに出したらどうなるのか。鏡をはがさなくてはいけないのか。それとも不燃ごみに出した方がいいのか。
またクリーニング屋で入れてくれるポリ袋はなぜプラマークがないのか。マークがなくても資源ごみに出していいのか。いけないならそれはなぜか。
ジェルが詰まった保冷剤は、防湿剤は。食用油の入っていた缶は資源ごみでいいのか。汚れたポリ袋はなぜ可燃ごみに出した方がいいのか。
ごみの分別の話はここでも盛り上がりました。でも一番知りたいのは、「なぜ」の部分です。「なぜそうなのか」根拠を理解して自分で判断したい、という意見がこの日も出されました。これからは容リ法と容リ協会のことやリサイクルの仕組みについて、行政も私たち運動団体も、もっと伝える努力をしていかなければ。