ベアテさんは1923年生まれというから今年85歳のはずです。22歳という若さで日本の最高法規である憲法の起草メンバーに加わり、母国語ではない日本語で草案を書いた、その話をじかに聞ける機会はもうないかも、と思っていましたが、予想していたよりずっと若々しく、想像していたとおりの魅力的なひとでした。
ピアニストだったパパに伴われて5歳から15歳まで日本で過ごした間に、日本女性が置かれた社会での位置づけや家族の中での役割について、正しく記憶にとどめ適確に把握していたこと、その聡明さには驚きます。
家庭でのお母さんはいろんな大事なことを決める重要な役割を果たしているのに、社会的な権利はゼロだった。財産権も職業、住居の選択も配偶者の選択すらなく選挙権もなかった——。ということを見ていた外国人の少女がいたこと。
しかし米国で大学を卒業後に勤めた「タイム」社でも女性は記事を書くことはできなかった。米国のジャーナリズムの先端を行く会社でも女性の地位は決して高くないことに、若く優秀なベアテさんは落胆したに違いありません。
のちに「当時22歳の小娘が書いたもの」という、若さを盾に改憲の理由とされたことでさぞ傷ついたろうし、その後「日本の憲法起草にかかわった」当事者として長く沈黙を通していた時期はきっと苦しかったろうと思います。
でも、「アメリカの憲法には女性という言葉がありません。80年前に投票権があった、でもまだ男女平等ではありません。」だからアメリカ女性は闘わなければ、という言葉は、むしろ私たち日本女性への励ましとして聞きました。
また「9条」の必要について語り、「9条をもっている日本は世界の平和のリーダーに」と言ったのは、決してお世辞ではないと思います。