杉並の学校図書館は後れをとっている

第2定例会の議会質問より ①

この6月は杉並区こども読書月間。杉並区は子どもの読書推進に力を入れていますが、こと学校図書館に関しては、後れをとっています。多くの場合「ふだん鍵のかかっている、だれもいない部屋」、単に「本がある部屋」になってしまっているのは、たいへん残念であり、杉並の子どもたちにとって不幸なことです。

では、学校図書館は本来どうあったらよいのか。ひと言でいってしまえば「人」。司書の配置、これに尽きます。「子ども読書活動推進計画」において、学校図書館の充実を重点施策に挙げている杉並区。その考えを議会でただしました。
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子どもの読書離れがいわれるなか、小学生の読書量が2年間で3.5倍、中学生は2.3倍へと飛躍的に伸ばした宇都宮市の取組みを地方紙の記事で読みました。市教育委員会のいうには「図書館司書を全小中学校に配置し、読書活動の充実が図られた」。司書の存在が大きな成果を挙げたことになります。

私は、区立小学校の図書館でボランティア活動をしている女性から「杉並区では図書館に司書が必要なことが認識されていない」という訴えを聞きました。

その人は学校司書の資格をもち、地域で文庫活動をしながら、学校でも子どもと本の出合いをたすけ、本を通した学びを支援したいと取り組んでいたのですが、一ボランティアに過ぎないため本の並び替えと整理、受付担当を超えるような仕事には手をつけられず「意欲も情熱も空回り・・・」と徒労感を訴えていました。

区の実施計画には学校図書館のITシステムの整備・運用が載っていますが、それを動かす「人」の配置がイメージされていません。教育ビジョン推進計画でも地域の人材活用というのみ、司書という専門家は想定外のようです。

学校図書館は、第一に子どもが確実に本と出合える身近な場所であり、子どもにとって心躍る場所でなければなりません。本を整備して子どもの読書指導を行うだけでなく、学習全般を総合的に支えるなどの役割も担っているはずです。そしてそれにはやっぱり、「司書がそこにいること」なのです。