2010年 政権交代の真価が問われる年が明けた

暮れの大掃除は生活の現場の「事業仕分け」

2010年が始まりました。今世紀になって初めての節目の年は、厳しい経済状況が回復しないまま明けました。昨年は日比谷公園に設置された派遣村が、今年は公設のシェルターにとってかわられたことは進歩といえるのかもしれませんが、抜本的な対策といえるものではありません。

未解決のまま年を越した課題はいくつもあります。歴史的な政権交代が実現してから120日、期待と熱狂のときが過ぎて政権に対する冷ややかな視線が目につくようになりましたが、真価が問われるのは間違いなく、これからです。

私はといえば、昨年の今ごろは来るべき都議選に向け緊張で新年を迎えたのだった…と思い出しています。選挙は残念な結果に終わり、実はいまだに悔やんでも悔やみきれない思いでいるのですが、それはそれとして、年末の大掃除での「事業仕分け」のおかげで満足感に浸っています。

全然広くない家のあっちの部屋、こっちの部屋のテーブルの上、デスク周り、本棚のわきなどに陣取っていた、数年間分の書類の山を思い切りよく「仕分け」して資源ごみとしてひもでくくると、なんだか大事業をなし終えたような快感で満たされた、と言ったら大げさか。

モノを捨てるのは意志の力を必要とします。ふだんはあることすら忘れていたものをいざ捨てようとする段になるとその価値が輝いて見え、捨てられなくなる。それを決断するには何か力が働かなければできません。

ちゃんと読めばためになるがほとんど読むことがなかった雑誌のバックナンバー、古い区政資料、学習会や会議で使った書類、いつのまにか集まったパンフの類…などは思い切って「資源」にまわしました。

創刊号からとってある『DAYS JAPAN』は迷ったけれどとっておくことにしました。よそで得られない情報だから身近に置いておこうと思ったので。

生活の現場に実体があり、そこでは政治が必要とされ、そこから世界につながっている、ということを忘れないためでもあります。