4人とも、減税のために徴税する、という提案そのものに反対です。でも何もしないでそのまま通ってしまうよりは、タイトル変更という最小限の修正で「いくらかまし」な条例になるように、というのが提案の趣旨です。
そうすれば、区の説明では減税なのか災害対策なのかはっきりしなかった基金の本質を的確に表すことになり区民の理解も得られやすい、しかも内容は変えないのだから多くの議員の賛同が得られるはず、と考えましたが結果は散々でした。
数名が述べた反対意見の中に気になる言葉がありました。いわく、「『個々人に直接還元されるものに、現役区民が負担するというのは、どう考えても納得がいかない』と減税基金条例に反対意見を述べながら修正提案を出し予算に賛成するという。整合性がない」というものです。
予算に賛成、でも個別の議案には反対する。今回そうですが、これまでも生活者ネットはよくそういう判断をしてきました。それを整合性のないこと、と短絡的に決めつけるのは、自由な思考・闊達な議論を封じ込めることにつながる、危険な兆候だと思います。
予算案には、私たちの政策である、教育現場に福祉の視点と手法を用いる特別支援教育などの施策や、学校図書館の充実、「脱石油」と呼び名は変わったがエネルギー課題への取り組みなどが盛り込まれ、進めてほしい。
また市民との協働や新しい公共づくりは、生活者ネットがこれまでも区のしくみを使いながら地域の活動を通して実践し、その蓄積の上に今があるのであって、これからも区とともにやっていきたいと考えています。
予算に賛成なら減税条例に賛成して当然、と思い込むことこそ、提案者(=区長)と受ける側(=議会)が緊張感を持って相対する関係、とする二元代表制の下での議会のあり方としていかがなものか、と思わずにいられません。
賛成しかしない議会なら、二元代表の役割を果たすことにならないではありませんか。
議員席からの野次のものすごさは私の知る限り過去最大でしたが、それは私たち4人が出した提案がある意味「核心をついていた」からではなかったのか、と実は思っています。