その知人は佐喜眞道夫(さきま・みちお)さんといい、沖縄県宜野湾市で94年から「佐喜眞美術館」の館長をしていますが、その前は荻窪の住人でお連れ合いと事務局長の塚原彩子さんとは生協仲間だった、という縁です。
祖先の土地が米軍基地となり、その地代で美術コレクションをするようになった佐喜眞さんは丸木夫妻と運命的な出会いをし、「沖縄戦の図」を展示する美術館を開くため普天間基地の一部を「取り戻した」のだそう。
つまり基地のすぐ隣にこの美術館はあり、そこには丸木夫妻の「沖縄戦の図」が常設展示され、その館長は鳩山首相が初めて沖縄を訪問した翌日に、基地問題で揺れる当地から丸木美術館へ講演に訪れた、ということです。
こんにち、「ヒロシマ」の惨禍を伝える美術館のイベントとしてこれほどふさわしい企画はなかったでしょう。
佐喜眞さんは開口一番「私はいまこんなところに来てる場合じゃないんです」といい、その一言で集まった聴衆の「沖縄の切羽詰まった状況を自分のこととして捉え連帯したい」という思いをひとつにしました。
首相の遅すぎた訪問は悲しいを通り越しているけれど、マスメディアの無責任なバッシングとそれに煽られる人びと、近づく選挙で漁夫の利を狙う影…などに惑わされないようなパワーと元気を広げていきたいね、という連帯感です。
公的資金のない展示物を交換し合う丸木美術館と佐喜眞美術館は、芸術作品をとおして平和を伝道しているといえます。佐喜眞さんの「沖縄は戦争を忘れさせてくれない場所」という言葉を深く胸に刻みました。
講演後の交流パーティーで、塚原さんが荻窪時代の佐喜眞さんにコルヴィッツの絵を見せてもらったりしたエピソードを披露したのは楽しいおまけでした。