8月15日のコンサート、プロコフィエフ『イワン雷帝』

虐げられる側からの表現がもしあったら

ルーヴル美術館でミロのビーナスを見上げる
ルーヴル美術館でミロのビーナスを見上げる
終戦記念日の8月15日は、カトリック教徒にとっては「聖母被昇天祭」という祭日です。聖母マリアの昇天を祝うということでヨーロッパの多くの国ではクリスマスと同じくらい特別な日らしく、ザルツブルク音楽祭で毎年この日はリッカルド・ムーティ率いるウィーン・フィルによる大曲のコンサートが企画されます。

今年のプログラムはプロコフィエフの『イワン雷帝』という重厚なオラトリオ曲が選ばれました。映画監督の巨匠エイゼンシュテインの映画に大作曲家がつけた音楽をもとに、作曲者の死後、管弦楽と独唱、合唱、朗読もありの劇的組曲として構成された、90分を超える大作です。

フランスの有名な俳優ジェラール・ドパルデューがイワン役の朗読、私の大好きなロシアのメゾ・ソプラノ、オルガ・ボロディナが独唱、コーラスはウィーン・フィルの合唱団・・・と一流の演奏者が集結し、終演後の観客全員総立ちの喝采は最大級の賛辞といってよいと思います。

それはまあ、演奏に対する評価だからいいのですが。

「雷帝」のモデルになったイワン4世というのは16世紀ロシアに実在した大変な暴君・虐殺者で、周辺の小国を次々と手中に収めていった制圧者だったといい、ロシア史上の重要な人物を描いた名曲だからといってそんなに拍手喝采していいのだろうか——と、つい思ってしまったのも事実。

もし、プロコフィエフにはありえないでしょうが虐げられ殺される側からこの史実を表現したら、まったく別の作品になったはずで、そういう曲はこの地の8月15日に演奏されることはあるのだろうか、と。

日本では「韓国併合100年」の首相談話が議論を呼んだ今年の8月15日。

国が国を制すること、植民地として国のアイデンティティーを奪うことを在日2・3世の人たちが「併合ではなく呑合(どんごう)」と言っていたのを思い出します。菅直人首相の謝罪はすこしでもその意に近づいたものとして、歴史的に大きく評価されるものと思います。

(写真はパリのルーヴル美術館にて。パリ旅行については、またいずれ)