1990年におきた戦争を知っていますか

成人の日に思うこと

ことし成人になった人たちが生まれた年、1990年は湾岸戦争が始まった年です。当時わが家族はニューヨークに住んでいて、この年の後半から翌年にかけては連日テレビや新聞でGULF WARについて発信されていました。

米国が主導して多国籍軍が結成され前線に送られてからは、日本がその軍に加わろうとしないことで、米国にいる日本人は「正義の戦いに協力しようとしない自分勝手な民族の身内」として見られ、コミュニティで居心地の悪い思いをすることもありました。

その直前まで日本は空前の好景気にわき、ニューヨーク5番街での日本人の派手な買い物は有名だったので、そのことへの米国人の反感が「正義の戦争」への非協力に対して不快感を増幅させたのだと私は思っていました。

現地校のPTAの集まりで教室に入ったとたん、それまでしゃべっていた母親たちが急に押し黙って気まずい雰囲気が…というようなことを私も経験しました。危害を加えられることを恐れて日本人同士が車で子どもの学校への送迎を分担したり、男性は通勤に車で同乗したりもしました。

学校のディスカッションで「君の国はなぜ協力しないんだ」と聞かれたら子どもはどう答えるべきか、模範解答の英文のコピーが日本人家庭の間にまわりました。「日本には憲法9条というものがあり戦争に加担することはできない。しかし国際協力は必要であり、かわりとして多額のお金を供出している。日本は責任を果たしている」というのがその概要です。

私は中学生だった息子が学校で「ベトナム戦争は悪い戦争だった。してはいけなかった。だがこの戦争は正しい戦争だ」と習ってきたと聞いてすごく驚きました。その先生は前年のベルリンの壁崩壊のときには「歴史が動いた」と熱く語り、天安門事件のときは「罪のない学生たちを殺すことを歴史は許さない」と涙ながらに訴えた人権派です。

中学の社会の教科書に「アトミック・ボムは戦争を早く終結させるのに貢献した。長引くより被害をずっと少なく食い止めることができた」と書いてあったのを見たときの次くらいのショックでした。

あれから20年たち、その後も世界のあちこちでいろんな戦争があり、いまも進行中で、いつどこで自爆テロに巻き込まれるかわからない恐怖と暮らしている人たちもいるこの地球で、とにかく20年生きてきて大人の仲間入りをしようとしている若者たち——。

杉並公会堂で開催された祝賀のつどい。座席いっぱいの着飾った男女を見ていると、こうして「生きている」だけでもすばらしいことのように思えてきました。晴れ着をそろえるのに親がどんなに散財したかということと、それができないためにこの場に来られない友のいることについて、少しだけ思いを巡らすことがあればなおいいです。