斉唱の押し付けが憲法違反であるかどうかを問うた裁判が「予防訴訟」と呼ばれるのは、違反者に対する処分の不当性を訴える以前に、処分を「予め防ぐ」ためだからです。
06年の地裁判決とは180度反対、真逆の判断です。何これ。ああここにも「歌わせたい男たち」がいた。
永井愛・作のこの芝居を都教委に見せたい、と以前書いた(こちら)けれど、裁判官たちにも見せたい。あの劇が優れていると思うのは、歌わせたい側の「彼ら」の苦悩も描かれていることです(こちら)。
入学式・卒業式シーズンを前にこのような判決が出たことは「歌わせたい男たち」による処分の「予防」に違いなく、2重の意味でやりきれない思いでいっぱいです。
判決後の都知事の「大変けっこう」というコメントにも、昨年暮れに朝鮮学校に対する補助金の中止を決めたことと併せて胸が悪くなる思いで、今年は中学校の教科書採択の年だ、とあらためて思い出させられました。
今年こそ都立中学の社会科教科書に「つくる会」版を採択させない。——中高一貫化された都立高校卒業生の運動が実を結ぶかどうかは、「石原4選」のうわさが聞こえるいま、4月10日の都知事選の結果にかかっています。