震災による死者が1万1千人を超えましたが、このような形での犠牲者を出してしまったことが残念でなりません。なんとかならなかったのか。
先日、被災地に支援に入った岩手の生協職員のかたの情報がメールで回ってきました。彼の言うには、被災地は一応の落ち着きを見せているが支援物資を集めたり仕分けして運んだりで大奮闘らしく、「東京はバタバタせずにしっかり消費して利益を東北に還元してくれ」とのこと。
ああそうだ。そうでした。東京はしっかり、ちゃんと消費すること。毎日はたらいて学び、楽しいこともし、活動して食べて…の暮らしを続けること。活動することで経済を回し市場を活性化させること。それは大事な被災地支援だということ。
安否不明は1万8千人以上。死者数はこれからまだ毎日増えていくでしょうし、被害の全容が明らかになるのがいつなのか予想もできない。それどころか放射能による影響の進行が予断を許さない状況にあって、悲観し始めるとどこまでも絶望的な思いにとらわれてしまいそうな、一種不気味な世の中の空気ですが…。
放射能は「正しく怖がる」こと、と言ったのは寺田寅彦だそうです。目に見えないだけに怖がり方の限度がわからなくなる気もちは私も同じですが、それが過ぎると「風評被害」を生むことに無関心であってはならないと思います。
「正しく怖がる」ためには正確な情報が適切に出されなければなりません。そのうえで、日常の暮らしをちゃんと、これまでどおりにしていこう。
酪農、農業や水産業が壊れてしまうことが心配で心配でたまりません。