保坂世田谷区長との連携で杉並も始めたい「脱原発」

チェルノブイリ事故から25年、加害者となった私たち

南相馬市への義援金は1億円を超えた…区役所ロビーにて
南相馬市への義援金は1億円を超えた…区役所ロビーにて
1986年4月26日はチェルノブイリ原発事故がおきた日です。25年前の私には「海の向こうの出来事」であり他人事だったし、それがもたらす放射能汚染に対して全くの「被害者」として原発への不快感を募らせていました。首都圏の誰もが、まさか25年後にここで、しかも「加害者として」原発事故を経験することになろうとは想像もしていなかったと思います。

なぜ加害者かといえば、首都圏の私たちが福島原発の電気を使い続け便利さを享受し続けたから。自ら「加害者」と認識しなければ、原発は現代社会に必要だとする推進論者に絡めとられてしまうと思う。私たちは加害者という認識に立って、原発から抜け出る暮らしを構築しなくてはいけないと思います。

24日には哲学者、内山節さんの「大震災で亡くなった人をみんなで供養しよう」という呼びかけに応えて、正午に自宅でお祈りをしました。被災地の方角、北に向かって手を合わせ黙とうしただけですが、気もちが粛然となりました。

隣の世田谷区では保坂展人さんが区長選を制し、「脱原発」を掲げる首長が誕生しています。「脱原発」派は今回の選挙で当選した区長の中でただひとりですが、新聞紙上での勝利を祝う写真では保坂さんの隣にわが田中区長が。

この連携で杉並区でも「脱原発」に向けた行動をぜひとも始めたいものです。