どう生かすか「チェルノブイリから学んだこと」

直面する食品の放射能汚染を前に私たちは

デスクの上の黄色い缶が「汚染茶」
デスクの上の黄色い缶が「汚染茶」
チェルノブイリ原発事故が発覚した直後の86年5月初旬から、わが一家の米国生活が始まりました。欧州でなくてよかったと思いましたが空はつながっていること、米国の食糧事情は欧州からの輸入に相当量を依存していることにその後気づかされました。翌年、ニューヨークのスーパーでは北欧産の乳製品やイタリア産のパスタ類が山積みにされ通常の3分の1から5分の1で売られました。

生活クラブ生協が「汚染茶」を缶詰にして原発事故を語り合う活動を始めたのはそのころです。「汚染茶」は、有機栽培が誇りだった三重県の生産者の茶葉が海外から飛来した放射能に汚染されたことがわかり、それを「原発を語り継ぐ」活動のツールとして缶やびんに詰めたものです。

生協の組合員や運動グループ仲間と「チェルノブイリから学んだこと」についてみんなで話そう、という集会が6月30日に開かれ、生活者ネットワークからの報告者という立場で私も参加しました。

生活者ネットの活動史を「対原発」の視点から改めてさらってみてわかったのは、「チェルノブイリ」直後から都議会では水・食品など生活に身近な放射能への対策を求め、「東電株主として原発の縮小提案をするよう」要求したこと。

当時の池田敦子都議は中曽根首相あてに原発の即時停止を求める要請行動の呼びかけ人になっています。また市民サイドの活動で自治体に放射能測定機器設置を求める動きが広がる中で、中野区などで実現が図られています。

食の安全を求める動きは都の食品安全条例制定運動へとつながっていきますが、生活者ネットが88年の基本政策に「原発の即時停止」を掲げていたことは、知られていないことかもしれません。

食の放射能汚染への不安が大きく広がり長期化が予想されるいま、私たちは何をどうすべきか。若い世代のママ組合員たちの悩みは深刻です。彼女たちに寄り添いながら、何が何でも脱原発しかない、と改めて思います。