小松久子のこれまでの歩み ~ボタン屋に生まれて~
私が生まれ育ったのは東京下町です。生家はボタン屋を営んでいました。一時期は両親と弟、祖父母、叔父のほかに、住込みの店員も加えて計13人の大所帯でした。ボタン屋といっても、紳士服を仕立て上げるのに必要な付属品、つまり裏地、芯地、糸などのいっさいやミシンの部品も扱っていました。
お客のほとんどはプロの仕立屋さんですが、この仕事は手に技術があればできるので、脚を失った人や片腕のない人、聴こえない人も珍しくありませんでした。品物を配達する店員のバイクに乗せてもらって仕立屋さんの仕事場について行き、1枚の布から洋服が出来上がることに感動しました。ときには義足に触らせてもらったりしました。
店の商売はやがて婦人物にシフトし、紳士物だけだったころと違って華やかな色の裏地やボタンが店に並ぶようになりました。売れ残った裏地の端切れやボタンをもらって、人形の服や小物を縫うのが私の楽しみになりました。ついに母のミシンを独占するようになり、父が私専用にミシンを買ってくれたほどでした。
小学生のころ、教会の日曜学校に休まず通いキリスト教徒として一生送ろうと思っていました。実現しませんでしたが、聖書と讃美歌に触れたことは西洋美術や音楽に興味を持つきっかけになり、のちに米国生活で教会をとおして地域の人と交流するようになるのも、その経験と記憶がつなげたように思います。
レコードを自分で最初に買ったのは6年生のとき。ビートルズの『抱きしめたい』という曲です。中学生のとき、ビートルズ来日にときめき、学校を休んで武道館コンサートに行った子がいると聞いてショックを受けました。そういう選択がありうる、ということが信じられず「自由」と「権利」について考えさせられました。