国連の条約批准20周年を迎えた日本 子どもの権利は守られているか

 

マイクを持って語る坪井節子さん。隣は尾木直樹さん

1994年に日本が子どもの権利条約に批准した日からちょうど20年目にあたる422日、20周年キャンペーン実行委員会の主催による記念の集いが参議院議員会館で開かれました。

 この20年間、子どもの権利の実現をめざしてさまざまな活動や努力が重ねられてきましたが、子ども間のいじめ問題、大人から子どもへの体罰や虐待など、むしろ権利が侵害される事例は後を絶ちません。そのような状況から脱して子どもが権利の主体として尊重されるような社会に少しでも近づくためには、何が必要なのか。 

実行委員会代表の早大教授、喜多明人さんは「422日という、あえてこの年度初め新学期の忙しい日」に集会をやるのは条約批准日にこだわってのことで、毎年この日に集いを催してきたのだと言い、昼休みに国会議員が参加しやすいよう開催場所も時間も設定したのだと趣旨を語りました。そのかいあって、党派を超えて衆参議員が顔を見せ、一言ずつコメント。 

不登校の子たちの学びの場「東京シューレ」からは子どもたち約30人が参加。そのひとりは「シューレに入るまで権利のことを知らなかった、教科書に載っていても自分のことだと思わなかった」。シューレの創立者、奥地圭子さんは「条約にはたいへん支えられた、でも子どもの現実はまだ厳しい」、フリースクールが学びの場として認められ「子どもが多様に成長していい」社会になってほしいと述べました。 

ほかにも子どもの現場によりそって活動する国内のNGONPO、数多くの市民団体からメッセージが寄せられた後、マイクを持ったのは教育評論家の尾木直樹さんと、弁護士で子どもを虐待から守るシェルター「カリヨン子どもの家」の創設から関わってきた坪井節子さん。 

坪井さんは89年の国連での採択以来、条約ブックレットを肌身離さず持ち歩いているとバッグから取り出し、「子どもに関して判断に迷い困ったとき、どういう形で言葉化されているか、ここに答えがある」と言います。 

条約が「使える」道具だということでしょう。それなのに、道具が有効に生かされていない日本。喜多さんが最後に言った「条約を生かすための国内法を充実させる」必要性大です。