特定秘密保護法の施行によって「自粛文化が進む」ことからどう脱却するか
12月14日に行われた衆議院選挙は、戦後最低の投票率52.6%となり、安倍首相の思惑どおり自民勝利、公明との合計が「3分の2を維持」という結果を残しました。
歴史的敗北といわれた2009年のときの比例区得票よりも100万票以上減らしているのに、選挙直後からすぐに、露骨にも原発再稼動や再生可能エネルギーの抑制、軍事的活動を視野に入れた安全保障にかかわる法整備に動き出しています。
第3次安倍政権がどこまで暴走をエスカレートさせるのだろうかと気持ちが暗くなりますが、ここは冷静に事実を見極め、先を見据えて活動を進めていかなければなりません。
選挙直前の9日、特定非営利活動法人「情報公開クリアリングハウス」が発足15周年記念の特定秘密保護法シンポジウムを開いたのは、この法律が施行される前日でした。「国家権力と国家秘密と情報公開」という、正面から本質に挑んだようなタイトルです。
長野県立短期大学助教の瀬畑源さんは、天皇制を研究する中で「宮内庁の資料が出てこない」ことに疑問をもったのがきっかけで公文書管理に詳しくなったのだとか。「知る権利」が制限されてきた実態が知られていなかったと指摘し、安全保障や公安情報が「過剰に隠されている」ことから、「情報公開法の充実化が必要」と説きます。
クリアリングハウス理事長の三木由希子さんは、秘密や非公開はこの先放っておいてもさらに増える、公開を進めるのは明確な「意思」であり、具体的なシステムと情報公開を求める市民の圧力こそがその「意思」、と鮮やかに言い切りました。
法政大学教授の政治学者、杉田敦さんは安倍首相の言う「アベノミクス選挙」のウソを暴き「選挙とはある意味、争点隠しの制度」と述べたのは、衆院選を見れば確かにそのとおりです。安倍氏が憲法を「ふつうの法律」に近づけようとするのは「権力は本来危険なもの、という認識なく礼儀をわきまえないやり方」と論評。だから「権力批判としての自由主義」をという言葉にかすかな希望を見ました。
けれど、「秘密保護法の施行によって自粛文化が進む」という瀬畑さんの予言はおそらく的を射ています。公務員の行動だけを制約する法だから一般の人は関係ない、と考えてはいけない。逮捕者はおそらく出ない、しかし「なんとなくしゃべらなくなる」――。
これはおそろしいことです。昨年12月6日にこの法が国会で強行採決されたときに感じた「嫌な予感」はこういうことだったのか。
そこから脱却することを常に、意識的にやらないといけない。発言し続けること。ジャーナリストを世論が支えること。内部告発を保護すること。メディアを孤立させないように市民社会が支えること。「知る権利」とは守ってもらうものでなく獲得するもの、という言葉を重くかみしめています。