『アムール(愛)』というタイトルの高齢者介護映画

岩波新書の天野正子著『〈老いがい〉の時代』は、映画を通して「老い」を考え、目からウロコの示唆に富む論点がちりばめられ、興味深く読みました。M.ハネケ監督の『愛、アムール』もまた「老い」の一面を描き、「介護」の現実をつきつけた映画として特筆すべき作品だと思います。 

成功した音楽家の老夫婦の穏やかな日常に、妻が病気で要介護状態になるという変化がおき、自宅で夫が献身的に介護をつとめる日日をカメラが追います。病状は日を追って悪化し、夫妻にとってきつい状況が進行する姿を、まるでドキュメンタリーのように淡々と、えぐり出すような映像を、差し出します。

 やがて夫は外界との交流を絶つようになり、ふたりの生活は内向きになっていく。冷静な目線を外さない監督がていねいに撮れば撮るほど、救いようのない現実が描き出されることになります。身近に高齢の介護者・被介護者がいる観客なら、どんな思いで見るでしょうか。

 ハネケ監督はなぜこの救いのないような作品に「アムール(=愛)」という題名をつけたのでしょうか。この閉塞状態で夫が自己を犠牲にして妻に尽くすことが「愛」だというつもりなのか。それとも、亡くなった妻の周囲にいっぱいの花をちりばめ飾ることを「愛」と?

 監督が「愛」だとして差し出した作品ですが、超高齢社会からみると、在宅介護の悲劇の物語以外の何物でもありません。だいたい、この夫妻には経済的問題はなさそうなのだから、夫の負担が重くなり過ぎる前にお金で解決できることはあったはずです。

 パリの高齢者福祉の制度がどうなっているのかわかりませんが、娘が手を貸そうとするのさえ拒否してふたりの世界に閉じこもろうとするのはなぜか。娘が福祉の制度にアプローチすればよかったのに。地域包括支援センターのようなしくみはないのかしら…。 

静謐な画面から、実際もっと悲惨なこともあるに違いない、など考えさせられます。ハネケ監督が「高齢者福祉の映画」を撮ろうとしたつもりではないとわかってはいても、心穏やかでいられなくなる。高齢社会で生きる者にとって見ておくべき映画だと思います。