「社会に貢献」できなくてもいいじゃないか ~12月9日文教委員会の質疑より
東京都の特別支援教育の推進計画第二期・第1次実施計画(案)骨子が文教委員会に報告されました。個別の施策については、これまで課題とされてきたことに手を入れ解決していこうという意気込みが見られます。
たとえば、知的障害特別支援学校では教室数が足りずカーテンで部屋を仕切っての授業が行われており、大きな問題となっていますが、この件について計画案では「学級数分の普通教室を確保」となっています。
質問で確認すると、「在籍者数の増加を踏まえた施設整備を行い」必要な教室を確保する、と答弁がありました。
また、都立高校での発達障がいの生徒への支援策として、通級による指導に着手する考えが示されました。都立秋留台高校をパイロット校として通級指導をモデル実施し、その実践をふまえ、その後の設置のしくみや他校での取り組みを検討するとしています。
興味深い取り組みメニューがいろいろ示されているのは好ましいのですが一点、どうしても承服できない記述が、基本理念に書かれた部分です。
「共生社会の実現に向け、障がいのある幼児・児童・生徒の自立をめざし、一人ひとりの能力を最大限に伸長して、社会に参加・貢献できる人間を育成」とあり、この最後の部分の「貢献」という言葉にひっかかるのです。
なぜなら、「社会の役に立たない人間はいらない」として相模原の施設で忌まわしい集団殺害事件を起こした元職員がいましたが、そのような許しがたい行動を肯定するひとたちに口実を与えることにならないか、危惧するからです。
この文言は現行の推進計画にはありません。なぜ改定にあたりこの文言を加えたのか、基本理念として「社会に貢献できる人間を育成」とすることの意味は何か、質問しましたが納得できる答弁は返ってきませんでした。
障がいがあってもなくても、社会に貢献できなくていいじゃないですか。貢献するかどうかは人間の価値と関係ないことです。インクルーシブな共生社会は「社会に参加」だけで十分。再考をお願いしたい、と主張しましたが、どうも、小池都政では教育を「人材の育成」と考えているふしがあるのが気になるところです。