19年ぶり 都立中学の教科書採択に変化が

都立学校の教科書採択で今年、異変が起こりました。これまで一度の例外もなく採択されてきた「つくる会」系の教科書がまったく選ばれなかったのです。

2004年、白鴎高校卒業生たちが「つくる会」教科書の採択に反対し抗議の記者会見を行った。右から3人目

かつて石原慎太郎都知事の時代、都立高校改革の一環として中高一貫6年制の学校づくりが始まり、その最初の開設中学校、都立白鷗高校附属中学校で使用する社会科の教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書が採択されたのは2004年のことです。

「つくる会」の実質的編集により扶桑社が出版した歴史教科書は、それ以前の2001年に東京都が養護学校(いまの都立特別支援学校)で採択していたため、2004年の中高一貫校初の教科書採択にあたり同じ選択をするのではないか、注目が集まっていました。

果たして「つくる会」版が白鷗高校附属中で採択され、その後、都立中高一貫校は10校にまで増設されましたが、そのすべての社会科教科書として入り込んでいきました。

この間、「つくる会」編集教科書の出版社は扶桑社から現在の育鵬社に変わりましたが、特別支援学校22校もふくめて全校で、歴史や公民の社会科教科書として都教委は採択し続けました。都知事は石原氏から猪瀬直樹氏、舛添要一氏、そして現在の小池百合子氏へと代わっていき、教育委員の顔ぶれも2001年とはすっかり変わりました。

社会科以外の教科では、同じ都立校といえども学校により違う出版社が採択されましたが、なぜか、社会科(歴史か公民)に「つくる会」教科書は欠かせない存在であるかのように、必ず、選ばれてきたのです。

ところがどうでしょう。今年の採択は!

何が起きたのだろうか、と思わずにいられません。

世界大戦時の日本の植民地政策を美化し戦争犯罪は矮小化、他のアジア諸国への露骨な蔑視など、歴史を歪めた内容で多くの専門家からも批判の対象となっている「教科書」が退けられることはもちろん大歓迎ですが、何か裏があるのではないか?

今後を注視していかなければなりません。