10年目の3.11

今年も「あの日」がやってきました。

国会前で反原発のアピール 2015.9.22

2011年。あの日は杉並区議会第1回定例会の最終日で、本会議が一時休憩となり議員控室で待機していたとき、地震が来ました。デスクの上で大きく揺れるパソコンをはじめ押さえていましたが自分の体の方が支えられなくなり、デスクの下にもぐりこんで揺れが収まるのを待ちました。

急いでつけたテレビの画面は地震の報道一色になり、やがて本会議再開のアナウンスがあって議場に入ると、区長はじめ多くの理事者(区職員)が防災服に着替えて席に着きました。だれもが厳しい表情で、冷たい空気が張り詰めました。

津波が東北の田畑や市街地をなめるように侵食していくようすを控室のテレビで見て、水に飲まれていく車や建物の中に人がいるのだと思うと息苦しさがこみ上げてきました。歩く人でいっぱいの青梅街道を自転車で家まで帰る途中、立ち寄った緊急避難所には人が集まり始めていました。

自宅に被害がなかったことと家族の無事を確認し、一晩じゅうツイッターの文字を追いながら朝を待ちました。被害の状況がつぎつぎと送られてきましたが全容を知るのはその後のことで、原発の爆発はまだ起きていませんでした。

それが私にとっての「あの日」。爆発こそまだでしたが福島第一原発が重大な被害を受けて緊急事態宣言が発令され、底のない恐怖が始まった日。

この10年の間にあのときの恐怖感は忌避感に変わり固く定着しました。廃炉、と決めたのに10年経ってもその道筋すら見えないモンスター。原発は嫌だ。だれがなんといっても絶対イヤ、という気持ちとなって今に至っています。