「ヒバクシャ」という映画

日本でつくられた意味

 HIBAKUSHA(ヒバクシャ)というノンフィクション映画を見ました。
 広島で自らの被爆体験を語りながら原爆病の治療にあたる80代の医師。生まれ育ったプルトニウム生産地の放射能汚染を告発する米国人男性。さまざまなヒバクシャ(被爆者・被曝者)が登場するなかで、いちばんやりきれなかったのは、(おそらく劣化ウラン弾のせいで)白血病に冒されたイラクの子どもたちの幼くして死んでゆくすがたでした。
 劣化ウランは、原子力発電に使う核燃料を製造する際に発生する「核のごみ」です。劣化というとなんとなく、大して害がない、と感じてしまいがちですが、とんでもない。れっきとした放射性物質で、91年の湾岸戦争で米国軍が劣化ウラン弾を兵器に使って大量にばらまいたことが、イラクでガン患者が急増する原因になっていると言われます。
 貯蔵するにも場所をとるだけのお荷物になっている「核のごみ」を「兵器として再利用する」ことを思いついたのが悪魔でなく人間だということを、しっかり覚えておかなくてはなりません。そして、日本にも劣化ウランが1万トンもたまっていること、今年3月に起こしたイラク戦争でも劣化ウラン弾が使われたこと。この戦争を日本政府は支持したこと、さらには、これから自衛隊をこの地へ送ろうとしていることも。
 食物や大気・水などから核物質を取り込み体内で「被曝」を起こしている人が世界中にいることを、この映画は語っています。唯一「被爆」国である日本でこの映画がつくられた意味は大きく、放射能汚染の問題について日本からさらにもっと声をあげていかなければ、と思います。