水俣病が問いかける「近代とは何か、人間とは何か」

2006年5月10日 23時33分 | カテゴリー: 子どもと人権

「公式確認」から50年たったけれど

私が水俣病と「出会った」のは「公式確認」30年目の86年です。藤沢市で小学校の家庭科教師だった名取弘文さんの「水俣の甘夏みかんでマーマレードを作ろう」という公開授業に参加して相思社の活動を知ったときがそうです。

「公式確認」40年目の96年に開催された「水俣・東京展」はよく覚えています。ポスターのキャッチコピーだった「近代とは何か、人間とは何か」は忘れられません。このときのことは、生協での、水俣の生産者・患者組織を支えるための甘夏みかん「利用促進」活動の動機になりました。その後「水俣展」を全国で継続させる組織として発足した「水俣フォーラム」の、いまも私は会員です。

そして「公式確認」50年目に当たる今年、記念日の5月1日には慰霊式典が開催されましたが、未解決の重い課題をいまだに抱えています。なんと、「水俣病とはどういう病気か」という根本的な問いにさえ国は結論を出していないというのです。認定基準の定め方が補償の金額に関わるからです。

2万人といわれる患者のうち3000人しか認定されていない現状を、石牟礼道子さんは新聞のインタビューで「国は患者が死ぬまで待とうとしているのではないか」と痛烈に語っていました。故意に患者さんを見捨ててきた、と。

「公式確認」は、チッソ(株)付属病院の医師が「奇病」について保健所に届け出た56年5月1日をその日に定めたということで、政治的に重要な日ですが、水俣病を日々の生活として、日常的に受け入れざるを得ない状態で生きている患者や家族にとっては何ほどの意味があるでしょうか。

国や加害者の責任を追及することは必要です。でも、ある地元漁師の言葉がより水俣病の本質をついています。「チッソは自分のなかにある」。

「自分も加害者」と気づいたその時点で、「近代とは、人間とは何か」という問いを自分自身に突き詰めざるを得なくなる。そのとき、公害は人間社会が生み出した普遍的な問題として別の側面を見せるのです。