湯浅誠さんが訴える「溜めのある社会に」

貧困は人権問題、憲法25条の問題

「2006年の日本の貧困率は15.7%」—先日、長妻厚生労働大臣が発表しました。OECD30か国中4番目の高さ。こんな重要な数値をこれまでの日本政府は算出してきませんでした。これも政権が代わったことの効果です。

子どもの貧困率14%、ひとり親家庭の貧困率59%、高齢者の貧困率21%。これらすべて、OECD加盟国平均を超えているといいます。こんな状態になるまで放っておくなんていったい日本は何という国だろう…。

政治は無策だったけれど、市民活動は奮闘してきました。その最前線で運動をリードしてきたのが湯浅誠さん。といっていいと思います。11月5日、「杉並・憲法の夕べ」で湯浅さんが講演するというので杉並公会堂に足を運びました。大ホールはほぼ満員です。

昨年末「年越し派遣村」の村長を務めて全国にその名が知られましたが、NPO事務局長として長くホームレス支援活動を継続するなかから「ネットカフェ難民」や「貧困ビジネス」など貧困問題を告発し続けています。

先ごろ内閣府の参与に就任し、年末までの時限的ながら「生きる支援」の任務に忙殺される毎日。失業保険と生活保護の中間的な「第2のセーフティネット」が活用しやすいよう、また福祉事務所・ハローワーク・社会福祉協議会の3者に分かれている支援窓口を利用者本位にするしくみとして「ワンストップサービス」をつくりあげたい、と語ります。

いったん貧困状態に陥ったらその坂を滑り落ちるしかない「すべり台社会」から、階段のように1段下りてもそこで止まる、また上がっていける「階段社会」へ。階段のような「溜め」のある社会へ。「その『溜め』をひとりひとりがつくる役割を担っている」、それが社会の防波堤になる、と湯浅さんはいいます。

いつも当事者の側にあってその目線を外さず、その理論の真ん中に「貧困は人権問題」というとらえがしっかり位置づいているから、湯浅さんの話には胸を打たれるのでしょう。憲法9条とともに25条*の大切さを人々に気づかせたのも湯浅さんの功績だと思います。

憲法25条1項*「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」