性暴力が原因と思われる病気に長年苦しんだあげく、高齢期にさしかかって自殺してしまった「ガイサンシー」は、当時まだ16歳の少女。彼女と姉妹のように、恐ろしい境遇をかばい合って不幸を一緒に耐えた女性たちの証言が教えてくれるのは、「慰安婦」とは何か、ということです。
もと日本軍兵士のある男性は「慰安所はなかった」といい、また別の男性は「現地では女の人も同じものを食べ和気あいあいと楽しかった」と懐かしむようにくったくなく、「姉妹たち」の語るおぞましい体験とのギャップにがく然とします。
山奥深い山西省というところは、経済発展も繁栄もまだ全く及んでいない、60年前と変わらないらしいことが質素な暮らしぶりから見てとれます。「姉妹たち」も何も語らなければ、穏やかに歳を重ねた、ふつうの、農村のおばあさん。
そして60年前にはもっと「ふつう」の、娘であり主婦であり母であり、家族の一員だった・・・。彼女たちは職業で軍の男どもの相手をしたのではありませんでした。「ふつうの」女性たちが、ある日突然引き立てられて人生を奪われたのです。
班忠義という監督が来日30年の流ちょうな日本語でナレーターを務めています。現地での「姉妹たち」へのインタビューも監督自身ですが、そこに通訳を介しているのはきっと中国の方言のせいだろうと思います。
1か月前にみた映画のことをなぜいま書いたかというと・・・、その理由は次回に。