そういう写真にこんな言い方をするのは不謹慎だと思うのですが、見る人を引き付けて離さない「美しさ」「魅力」、ときには「神々しさ」とでも言うべき光を放つ作品があるのはなぜなんだろう、とよく考えるのです。
「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」「一枚の写真が国家を動かすこともある」。表紙のこのフレーズがその理念を表わしていますが、暗くて悲惨、絶望的な写真が多いのになぜ「美しい」と感じてしまうのか。
優れた絵画をまるで写真のようだと感じることがあるように、写真が絵画のように見えても不思議はありません。でもスタジオの人工的な光の下で意図して、計算を尽くして撮った作品が「絵のよう」なのと、たまたまその場に居合わせてシャッターを切った写真が「絵のよう」であるのは意味が違うと思います。
報道写真に絵画のような芸術性を感じさせ感動を与えるのは、そこに一瞬の真実が切り取られ描かれているからなのだと思います。
5月最新号の表紙は「第2回国際フォトジャーナリズム大賞」1位を受賞した「インド 男子誕生の圧力の影で」と題する作品が飾っています。構図といい色彩と言い、とくに「絵画のよう」と感じさせ、しかもインドで女性の置かれた厳しい現実を捉えて胸を打たれます。
『DAYS JAPAN』に載っている写真が新聞やメディアでもっと採り上げられるようになれば、地球上の不幸は必ず減るのに、と思います。
『DAYS JAPAN』のウェブサイトは→ http://www.daysjapan.net/index.html