都教委は2年前「ジェンダーフリー」という言葉を今後もう使わないと公言し、以来そのとおりにしてきました。それだけでなく、都内の各自治体教育委員会にあてて「誤った考え方としての『ジェンダーフリー』に基づく男女混合名簿」を禁止する通知を出し、男女平等の推進に水を差したことは否定できません。
女性学の論客、上野千鶴子さんの国分寺市での講演を「ジェンダーフリーの用語に触れると予想される」ことを理由に中止に追い込んだのも東京都です。
でもどうやら、「ジェンダーフリーという言葉を使わない」動きは東京以外の地方でも広がりつつあるようです。福井県の図書館から男女平等やジェンダー関係の本が撤去された、などとびっくりするようなことが最近起きています。
ある概念を示す言葉の使用が抑制されるとき、それが概念そのものを消そうとしているのだとしたらどうでしょう。「社会的・文化的につくられた性(=ジェンダー)にとらわれず個性を発揮する」という概念は、「ジェンダーフリー」という言葉がなければ普及しにくかったと思います。
上野さんは「『ジェンダー』も『ジェンダーフリー』も使わない」そうですが「『ジェンダーフリー・バッシング』という現象それ自体は不愉快だし何とかしたい」と言っています。言葉を使用することと、言葉の表す概念を叩きつぶそうとする力に立ち向かうことは別の問題ということだと思います。
国会で審議されている教育基本法「改正」案には「男女平等」を記述した部分が削除されてしまいました。これら一連の動きを見過ごすことはできません。